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2006年12月26日 (火)

山崎元氏の金融工学批判(2)

テクニカル分析と行動ファイナンス

山崎氏はテクニカル分析をこっぴどく批判している。

チャートに基づいた株価予想をしている人々を「人間のクズ」とまで評している。

山崎氏が、行動ファイナンスを評価する点に、市場の構造的な「ゆがみ」が参加者のdispositionにより、組織的に維持されるというものがある。

そうであるならば、それを前提としたテクニカル指標が開発されてしかるべきではないか?

それともテクニカル指標自体が、その「ゆがみ」を発見できないのであろうか。

それとも行動ファイナンスが明らかにした「ゆがみ」自体が、アービトラージ不可能なものなのか?

でも「アービトラージ不可能なゆがみ」って?何?

マーケットの表層には表れてこない、深層レベルでのゆがみ?

なんか精神分析的な話になってきたな。

無意識は意識化されないがゆえに無意識であり、意識化されたらもはや無意識ではない・・・・。トラウマしかり・・・・。

どっちにしても、テクニカル分析を批判しつつ、行動ファイナンスを擁護するのはなんかしっくりこない感じがする。

行動ファイナンスを擁護するのならば、テクニカル分析にも一定の価値を認めるべきではないのか?

行動ファイナンスが発見できた「ゆがみ」がなぜテクニカル分析が発見できないのか?

マーケットに注ぐ「情熱」は両者とも並々ならぬものであるのに・・・。

とにかくホントの意味でテクニカル分析を批判できるのは、ランダムウォーク派だけだと思う。

テクニカル分析の意味をものスゴーク狭く取れば、行動ファイナンス派もテクニカル分析を批判できると思うけれども。

やはり行動ファイナンス派が明らかにした「ゆがみ」と優秀な市場参加者が裁定してまうゆがみとの違いを明確に把握することが必要だな。

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2006年12月21日 (木)

証券取引法の包括規定

包括規定は証券取引法などの分野には必要である。
旧証取法にちゃーんと「風説の流布」や「偽計取引」という形で規定されている。

包括規定とは「キャッチ・オール・クローズ」であり、「とりあえず怪しい奴は捕まえちゃうぞ」条項のことである。

これは罪刑法定主義に反するものの、証券取引のようなイノベーティブな分野であらかじめ罪刑法定は不可能なので、包括規定が是非とも必要なのである。これほどのものがなければ、維持できないような制度なのである。証券取引市場という資本市場は。

民法などの人間の本質にかかわるような分野とはメカニズムや、そのロジックが全く違うのである。

そのことを日本の行政担当者・検察・裁判官なども、こういった法理論の基本を理解していない人が多い。なんのための司法試験だか・・・。

ましてや日本のマスメディア(記者風情)には、このレベルのこともゆめゆめ期待してはいけないが・・・。

こまったことだ。

まったく市民が少ないからこういうことになる。

もういちど「フランス革命」からやりなおしだね!

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広告効果

TVの広告宣伝効果に対する疑念が各方面からわいている。

そもそも現状でも6割のCMが直接的に商品を売るためのものではなく、企業のイメージアップのものらしい。

モノを売るにはネットの方が効率的だということであろう。

そうばんTV局の既存のチャンネルからの広告収入は大きく減る。現に減り始めている。そうばん現行の視聴率-スポンサーシステムは崩壊するであろう。いいことだ。たまにTVつけたと思ったら、亀田一族を見せられて気分が悪くなることがなくなるから。

その後に何が来るのであろうか?インターネット新聞、インターネット放送、別の紙媒体だろうか。ともかくも楽しみである。

ホリエモンは稀代の詐欺師であったが、TVメディア覇権の崩壊を早めてくれるかもと期待させてくれる存在ではあった。だが犯罪は許されない・・・。

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解決策

やはり現状の様々な問題の根本原因は、日本に「田吾作」しかいないということであろう。
そのためには「田吾作」を「市民」に変えなければならない。
いいかえれば「田吾作」の民度を上昇させなければならない。

よってマスメディアの競争促進がイの一番に必要な施策である。

総務省による規制緩和

記者クラブの崩壊、発信媒体設立の自由度アップ、インターネットを中心とした多様なチャンネルの活用

すなわちマスメディアの自由競争

民度の上昇

田吾作から市民へ

具体的な投票行動

マシな政治家、マシな施策

というようなバラ色の未来を描きつつ解決策としたい。
というわけでとりあえずソフトバンク・ガンバレ!

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日本の学校

日本の学校は極度の共同体主義である。もはや軍隊レベルといっても差し支えないであろう。小学校の行進などは軍隊のそれと全く変わらない。北朝鮮のマスゲームを気味悪がる前に、日本の小学校を気味悪がろう。おまけに日の丸・国歌も強制するので軍隊まんまである。

ちなみに、共同体主義なのか個人主義なのかという座標軸を取ると

日本 :極度の共同体主義
アメリカ、イギリス:中程度の共同体主義
フランス、ドイツ:かなりの個人主義

らしい。そしてイジメの発生も「共同体的要素が強ければ強いほど増える」らしい。ちなみに共同体的要素とは、学校で常にクラス単位で行動する比率とか、同じ授業を同じ学年の生徒が受けている比率とか、登校したあと学外で授業を受ける比率とかで出すらしい。

そりゃ毎日同じ面子で顔あわせてるから、シカトがイジメとして成立するわけで・・・。ドイツのように、授業単位で面子がコロコロ変わるのであれば、シカトしても単に「話したことのない人」で終ると・・・・。

さらにいえば受験勉強は共同体主義的な要素の中に個人主義的な経路を導く装置として機能していた。勉強は「みんなで一緒に」はできないからね。だから小学校5・6年から中学1年くらいまでがイジメのピークで、その後は受験勉強のある人たちはイジメから退却していった・・・・。

上の前提だと、ゆとり教育をおこなえばイジメが増えるのは当たり前ということになるね。

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日本人

1、日本人は市民性や市民社会といったものにたいする理解を欠いた人が決定的に多い。だから動員されなければ何にもできない。動員が必要という点では、左翼も体制派も同じである。丸山真男の(学問的業績ではなく)かつての「現状分析」がほぼそのままあてはまってしまう現状がかなしい。何とかせにゃ。

なぜ日本には自立した個人がかくも少ないのだろうか。近代化の仕方がまちがっていたのだろうか・・・。そもそも近代化自体も上からの近代化であったが。

ちなみに、明治時代の政治家や、江戸時代の武士などの中に、自立した市民性の萌芽を読み込もうとする試みはことごとく失敗するであろう。ヤメた方がよい。日本には今も昔も「田吾作」がほとんどだったということであろう。

2、動員しか知らなかった人々が、動員から逃れて、自立するかと思えば、単なる根無し草(無党派層)になっただけだった。だから動員されなければ自らは何もしないで、右往左往。テレビばっか見てるから、ワイドショーで扱ってる問題しか目に入らない。

3、日本人には低レベルのマスメディアしか与えられておらず、かわいそうである。メディアのレベルの低い一番の原因は、メディアが様々な規制でまもられており(参入規制、記者クラブ)、いろいろな意味で自由な競争が阻害されていることにある。

4、日本人は実は他人を信用していない。実験系のゲーム理論の研究成果でおもしろい業績があるらしい。

5、日本には「お上」がいる。お上は何でもしてくれるので、お上にすべてを預けておけば安泰である。三方一両損みたいな解決をいつもしてくれる。だから裁判所も、行政も、検察もまとめて「お上」である。したがって批判の対象にもならない。というか「お上」を批判すること自体が不届きせんばんな行いになってしまう。

6、日本人は「多様性フォビア」である。コミュニケーションの能力の低さゆえか、フォビアゆえのコミュニケーション能力の低さか・・・・。自分と前提を共有しない者が存在するのが不安で仕方ない。ガキなのである。

7、日本人は他者をいたわり、思いやる傾向が強い。いいことだ。ただしその「他者」は同じムラの仲間でなければならず、同じ前提を共有するはずの「他者」なのだが。(もはや他者じゃねえナー)

8、日本には建設業に従事している人の数が多すぎる。だから公共工事が削減されると多くの人が困るのである。ただ工事の人を食わすために税金とられる国民はもっと困るのである。失われた10年でも小渕の頃は大幅に建設業の雇用者が増えた。

ただ工事という非効率的な再分配方法に頼っているために、無駄が多すぎる。建設業ヤメてもらって、直接カネ渡したほうがよっぽど効率的である。

ちなみにケインズ経済学の中でその骨格とはあまり関係のない特論的な扱いを受ける乗数効果は全くのデタラメであることはもはや常識である。

9、日本は役人天国である。というか「お上」天国である。なぜならば市民が少ないので、だれも「お上」を批判せず、お上が自己の権益拡大のためにやりたい放題だからである。


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アメリカ人

1、アメリカの19世紀型帝国主義は内向きであった。それほどの侵略可能な領土が国内に残されていたのである。日本は狭かったので帝国主義は国外に向かった。どちらもホメられたものではない。

2、アメリカ人は日本人以上に信心深い。特に子供たちなどは、すごく宗教の影響を受けている。大学でもそれが理由で、いろんな点で教授が授業しにくかったりすることがしばしばらしい。

3、アメリカ人は懐が深い。日本人が創造する以上にアメリカには多種多様な人々と、多種多様な思想的バックグラウンドを持つ人が存在している。非常にバラエティに富んでいる。「自主規制ファシズム」が横行している日本から見ると、風通しがいいことこのうえない。多様性ゆえにひとくくりにアメリカ人とまとめてしまうのが申し訳ないほどである。

4、アメリカ人はルールを重視し、尊重する。その意味では大人である。

5、アメリカ人は陽気である。会話してて楽しい。日本人のように、飲んで正気を失なってようやくつたないコミュニケーションが可能だ、というお粗末なレベルと比較すると、コミュニケーションスキルは相当に開きがある。

6、アメリカ人は「知性」「知識」といったものに、敬意を払う。日本では「私にわからないこと」をいう人は「お上」か「基地外」扱いである。

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山崎元氏の金融工学批判

(未検討)

山崎氏は、日経ビジネス文庫の著作の中で

「行動ファイナンス理論の登場により、旧来の金融工学の理論的な前提が疑われるようになった」

「金融工学は理論内部の理論的整合性は調っているが、前提が間違っているので誤り」といった趣旨のことを述べていたと思う。

以下ではこの主張に対して、今後の私の対応を考えてみたい。もしこの主張が正しければ、ランダムォーク派やインデックス派、あげくにはバンガードまで総崩れしてしまう可能性があるからである。

ただ山崎氏は、これ以上の議論を展開していないので、彼が金融工学の「理論的前提」が何であり、行動ファイナンスの登場により、そのど゙の部分の無効が明らかになったのかということに関しては全く述べてはいない。

しかし、ブログ等を拝見するに山崎氏はマクロ経済学に関しては相当程度に造詣が深く、主張も的確である。もちろん市場の効率性をめぐる議論に関しても十分な知見をお持ちであろう。そのような御人の主張であればこそ、真摯に受けとめ、私はコメントするのである。

山崎氏はたしか以下のように主張していた。
行動ファイナンスによれば個人はマーケットで合理的に行動しない。そのような個人が集まったマーケットは効率的な市場とはなり得ない、よって効率的市場仮説に基づくCAPM理論や、モダンポートフォリオ理論は誤りだ・・・・・。 

ここでは以下の疑問がわきおこる

①行動ファイナンスは個人の行動の非合理性を証明したのか?

②「合成の誤謬」という古くからの概念があるように、個人が合理的に行動してもマーケット全体で見ると非合理なふるまいに陥ることはある。その逆で、個人は非合理的であってもマーケット全体としてみれば合理的になるということはないのか。

③効率的市場理論と完全競争市場を間違えて取り違えていないだろうか

④山崎氏の主張に賛同する経済学者や行動ファイナンスの学者はどれくらいいるのであろうか?そもそも、その主張自体学会ではコンセンサスが得られていないのではないか?

⑤すると山崎氏は当事楽天証券に所属していたわけで、いわゆる「ポジショントーク」を展開したのではないか?

①に関して

行動ファイナンスはそもそも経済学なのであろうか?あれは心理学なのではないだろうか?私の行動ファイナンスに関する理解は恐ろしく浅くとても論評できるレベルにないが、今後時間を見つけて、時間をかけ理解を深めて生きたい。

ただ入門書をチラ見したが、そこで紹介されていた行動ファイナンスの代表的業績である「プロスペクト理論」に取り立てて新しさは感じなかった。一言でいえば「効用曲線の形変えただけジャン!」である。

しかも経済学がその議論のあいまいさから、当の昔に置き去りにした基数的効用の概念に基づいているし・・・。

ふるい経済学の道具立てにちょっと手を加えて、株式市場の参加者の行動分析をしてみましたという感じである。したがって行動ファイナンスは応用経済学の一種であり、しかもその応用の仕方が上手だった、というのが現時点の感想である。

だからカーネマンにノーベル経済学賞やってもいいけれど、それはダントツにすごい業績に対して与えられたというわけではないのではないだろうか。そもそも心理学者に経済学賞やってもいいのか?という疑問は残るが・・・・。

だいたい行動ファイナンス自体が、アノマリーと呼ばれる一般的でない事象の発生原因を探るための研究からスタートしたのだし、そこから得られた結論が金融工学の前提を揺るがすようなものだとは到底思えないのだが。

ちなみに行動ファイナンスは、その理論の数学的な論理性がいまだに証明されていない理論も多くあるようで、とても系統だって展開されるレベルには至っていないようである。

今後時間が取れた、一生懸命勉強してみて、そのインパクトを自分で見定められるようになりたい。

単純なことです。非合理的にふるまう個人も含めてたくさんの人が参加することで市場は効率的になる。だから、市場に存在する非合理な個人の事例をいくら持ってこられても、それは市場の効率性を批判することにはならないのではないか?

③に関して、
経済学自体からも完全競争市場は数学的にもほぼ証明不可能な概念であるという批判は多く示されている。代表的なものは「ケネス・アロー」という、ものすごーく頭のいいアメリカ人が提示した「不可能性定理」というもので、彼はこれらの業績にでノーベル経済学賞をもらっている。

ただここで注意しなければいけないのは、これらの批判に共通しているのは「純粋な完全競争市場の存在」は証明不可能でも、それに近似するような市場が存在しうることは、いくらでも証明するこができるということである。

(ちなみにアローの定理のインプリケーションそれ自体は比較的簡単なものであるが、その証明プロセスは、おそろしーく難解かつ複雑で、おそらくミクロ経済学の教授でも理解している人は世界中でごく少数であり、理工学部の数学教授レベルでなんとか理解できて説明できるというシロモノらしい。その意味では、シロウトでもなんとか時間かけてくらいついていけば理解できるブラック=ショールズのオプション価格理論とは、難解さのモノが違うといえるだろう。まったく世の中には天才的に頭のいい人がいるものである。)

さらに効率的市場理論それ自体も、ウィーク派、セミストロング派、ストロング派と三段がまえである。このことは、効率的市場仮説の中でも、かならずしも完璧な理論的前提が共有されているわけではなく、その共通前提に基づいて理論が構築されているわけではないことを示している。

だから「完全に効率的な市場はない」といったところで、それは「完全な効率性をもつ市場」に似た市場が存在することを否定することにはならない。したがって、ランダムウォーク派にとっては、さほどイタイ批判でもなければ、理論の根本的な再構築を迫るほどのインパクトも持っていないのである。

④いままでここまで従来の効率的市場仮説の無効を主張した人の文章は見たことがない。私のリサーチ不足だと思いますが。

⑤ポジショントークの可能性大アリです。だって個別銘柄の売買する必要なくなっちゃうんですもの。それだけは証券会社にとっては禁句だよね。

あと日本の市場は効率的ではないと主張する人もいますが、わたしは効率的だと思っています。ストロング派とはいいませんが。アメリカでアンチ効率的市場仮説派も、似たような批判展開していると思います。

あと効率的市場理論は、株価が右肩あがりだったアメリカ生まれだから、ローカル限定だという人もいますが・・・・、まあ無視していい主張だと思ってます。経済学や数学の何たるか、理論とは何たるかをわきまえないふざけた主張だと思います。


以上私の行動ファイナンスに対する見識の浅さや、山崎氏が実際は何を取り上げているのかがわからない状況のもとで強引に書き綴ってみました。

またまとまった時間がとれれば、是非「行動ファイナンスは従来の金融工学を根本から崩すほどに「正しい」のか?」という点について勉強して生きたいと思います。


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2006年12月18日 (月)

ナショナリズムをめぐる状況への格言集

グローバル化の中での天皇制(緑の皇)

グローバリズムと天皇制という家族形態をベースにした制度との齟齬

天皇陛下が一番わかってる。なんたって自分の家の存亡がかかってるからね。バカ(どこぞの将棋指し)にあおられたって、そうそう簡単にのってはきませんぜ。

すばらしすぎる切り替えし・・・。あの人よっぽど頭イイんだろうな。

たかだか将棋指しの分際で国家を語るなかれ。

汝己の分際を知れ。

昔将棋がウマかったことと、国家の未来を語れることの間にはなんの因果関係もない。将棋がうまい人は将棋がうまい。ただそれだけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。

知事は東京都の心配だけしてればよい。

汝己の分際を知れ。

「それが私の心だ・・・」(富田メモ)ならば靖国に参拝する小泉こそ陛下の「御意」に逆らっているわけだ。小泉こそ陛下に逆らう国賊である。天誅が必要だ!

ホントの右翼は天皇なんかどーでもいい。エセ右翼は天皇使ってカネ儲け。バカは相手にしないのが一番。

愛国心と愛郷心

ナショナリズムとコミュニタリアニズム

アプロプリエイション(横脱)

それでホントに家族が護れるとおもってるの?

「国家の品格」でウサ晴らし。

品格のある人は、そんな本読む前から品格あります。

本読んで品格つけようと思ってるの?

藤原正彦・・・「品格本」でオヤジたちから小銭を捲き上げ

ゴー宣で人格形成

小林よしのりは常に正しい。

おぼっちゃま君は常に正しい。

おぼっちゃま君への贖罪(おぼっちゃま君の食材)

団塊の世代って何か残した?ただ盛り上がっただけじゃん(思考停止)

オヤジ「近頃の若者はまったく根性がない!」若者「アンタほど頭が悪くないだけだよ」

「食い逃げ」正当化イデオロギー

アルコール中毒→アル中、ナショナリズム中毒→ナショ中

市民社会

みんなと一緒じゃなきゃ自立できない!○

戦争が起きたら逃げればいいじゃん。っていうか真っ先に逃げるんでしょ?

アンタから見たら、対馬も釜山もたいして変わらんでしょ。○

北朝鮮相手にイキがったってしゃーないやろー。

自衛隊には戦後の長きに渡り、来るべきアメリカとの再戦に向け、ひそかに戦略を練っているSWCがあるらしい。そっちの方がよっぽどカッコいい。

そういうことはアメリカに核戦争で勝ってから言ってほしい。

アメリカだって一枚岩じゃないんだよ。

ほら~だからネオコンだって続いたって2・3年だっていっただろ~。まあ実際は4年くらいもったけどね。

戦略的思考=普通の大人の思考

少なくとも核爆弾は私のところには飛んでこないと断言できます。

イキがったって結局何にもしないんでしょ?

イキがったって結局「食い逃げ」してるんじゃねえ。説得力ないよ。

チョイ悪オヤジ、激バカオヤジ

愛国心あるならまず年金返上しよう!

愛国心あるなら、年金で国債買ってそれを国に寄付しよう!

愛国心あるなら、まず官僚機構を縮小しよう!

他者からの承認:あなたが国家を承認しても、国家はあなたを承認しません。

他者からの承認:その前に家族から承認してもらえ!

人間の尊厳は国家から与えられるものじゃありません。

バカとの議論の仕方

バカは一通り喋らすとダマる。

石原が戦闘機の一番槍でテポドンに向かって突っ込んでくっていうなら、少しはやつの言うこと信用してもいい。

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リバータリアンの格言集

(検討前資料)

デイヴィッド僕は何も自己決定を支えるバックグラウンドの存在まで否定しているわけじゃないんだよ。それが国家や官僚機構である必要はないといってるだけなんだ。

権益拡大は官僚機構のDNAに刷り込まれています。

「お上」意識

自己決定を放棄すれば「お上」意識は必要だよね。

自分のことは自分できめよう。みんなのことはみんなで決めよう。シンプルなことさ。自分のことをみんなが決めるから、みんなのことを自分が決めるから、おかしくなるんだよ。

官僚制のDNAですね。

DNAだからどうしようもない。DNAだから遺伝子治療が必要です。

つまるところ所詮天下りだったりするわけでしょ?

天下り・・・。天から下る。この甘美な響き・・・

市民には官僚制は必要ありません。

民営化ではなく、本来あるべき形に戻しているだけ。

不完全なマーケットからは、不完全なアウトカムしか得られません。

だってこれ以上減らしたら、俺の天下り先がなくなっちゃうじゃん!

雇用保障だけでも給料10年分に相当するよ。

実質賃金(福利厚生も含めた)

実質所得(福利厚生も含めた)

実質「生涯所得」の割引現在価値(福利厚生も含めた)
公務員とサラリーマンで比較したら・・・・。ひょえ・・・・。

マーケットに任せなかったら、この有様なわけでしょ?

マーケットが機能しなかった例って、ホントはどれだけあるの?

土地の非効率的利用

それは「余剰」に対する見解の相違だね。

因果関係は一つじゃないんだよ。

その裏に隠れている因果関係が重要だ。

生理的に受け付けられない指導者が、正しい政策を決定することはある。

我田引水

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インデックス派の格言集

(検討前資料)

下手な考え休むに似たり

果報は寝て待て

「無謬」の誤謬・・・・ボツ

まそういうことにしておかないと、彼らも立つ瀬がないからね。

泥縄

君が今手に持っているもの・・・それはほんとに黄金かね?良く調べてみなさい。
え?調べ方だって?
ハハハデイビッド、私がそれを君に教えると思うかい?

銘柄研究よりも他にやることがあるでしょう。

所詮タダで手に入る情報。

所詮カネで買える情報。

所詮コネで手に入れる情報。

「自分が正しい」シンドローム

「俺頭いいもん!」シンドローム

「他人はバカ」シンドローム

あなたはみんなと同じくらい頭がいいですよ。○

あなたはみんなと同じくらい頭が悪いですよ。○

抜け駆けは許さないぞ~

情報とは「あなたとは別の誰か」が発信してるのですよ。

人が語るのは常に「他者」の言語である(byラカン)。

オリジナリティだって?・・・フッ。

市場はあなたが思ってるより、いつも少しだけ効率的です。

他の人は、あなたが思っているよりも、いつも少しだけ賢いです。

人間不信・・・・いやファンマネ不信・・・・

所詮他人のお金です。

はははデイヴィッド。マーケットに勝負を挑むだって?それは頑張ってくれたまえ。
ところでそんな見たこともない相手とどうやって戦うんだい?

カフカ的不条理。わたしにャ過負荷・・・。

君が儲けられるなら、僕も儲けられるね!○

君はファンマネと資本主義のどちらを信じるんだい?

人の分際で、阿弥陀様に勝負を挑むのかい?

あなた「ノーベル」きちんと発音もできないで、ノーベル賞を語るんじゃないよ!

伊達にノーベル賞もらってません。

「行動経済学」こりゃ使える!(FM談)

あんた、心理学者にノーベル経済学やるって何考えてんの?

そんなの昔からわかってたことじゃないの、ねえ。

市場の不完全さの例をいくら挙げたって、それは市場の不完全さを証明したことにはならないんだよ。

市場の不完全さを例証する?(フッ冷笑・・・)

自分だけはあたまがイイと思ってないかい?

世の中には頭がイイ人がたくさんいるんだよ。

それは市場の定義に合致していません。

資産防衛の最後の砦(最初にして最後の砦)

そんなに儲けてどうすんの?

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2006年12月11日 (月)

アンチ・ボッタクリ宣言!

証券業界のあらゆるボッタクリに抗おう!

ちなみに近未来通信はボッタクリではない、あれは詐欺だから、抗う必要はない!
あの手の詐欺を「需要」する層は社会に一定比率存在するから、仕方ない。
ダマしダマされ、実はお互いがお互いを必要としている・・・

私たちたちが真に戦いを挑まなければならないのは、

銀行
大手証券
運用会社
の手数料・信託報酬ボッタクリ・トリアーデだ!

そのためにはネット証券の力を借りよう!ダメなら自分たちでなんとかしちゃおう!

万国のインデックス派よ団結せよ!

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リバータアリアニズム宣言!

リベラリズム、コミュニタリアニズムにこそ可能性があると思っていました。ずっと・・・。

リバータリアニズムは、「アメリカに魂を売る悪魔の思想」だと思っていました。かつては・・・。

私は間違っていました・・・
ごめんなさいノージック
(でもあなた自身が転向したためにもはや何がなんだかわからなくなってますね。)

リバータリアニズムは、アメリカに魂を売りません。人間としての正当な権利を享受するための思想です。

そしてリベラリズムやコミュニタリアニズム自体は輝きを失ってはいません。

ですが両者が現状の日本で持つ社会的機能は、「官僚に魂を抜かれるための思想」としてのものでしかありません。

もう官僚にも国にも頼るのはやめましょう。というか今まで頼ってきてこの有様です。ホントに頼れるのは、自分と「手触り感覚」を共有できる人々だけです・・・。

こんなこと20年前に日本は気づいていなければならなかったことなのにネ。

上の世代を見ても「国家の品格」でウサ晴らししつつ、「食い逃げ」を画策OR実行中の人しか見当たりません。

一方で同年代や、チョイ上の世代には尊敬できる方々はたくさんいらっしゃいます。

この方々のためにならガンバりたい!

小泉政権は行き過ぎたリバータリアニズムかと思っていました。
しかし安部政権になって、バックラッシュが著しいし。相変わらず官僚機構との癒着もはなはだしいし・・・。

小泉政権のリバータリアニズムは、今になってみれば、まだまだ「ヌル」かったのですね。

官僚機構自体もなーんんも変わってないし。あいかわらず自分たちの権益保護のために恐ろしいほどのリソースと投入しているし・・・。
その縄張り維持&あわよくば拡大の意識は、寒気を覚えるほどです。

今こそリバータリアニズム宣言!自分自身への孤独な宣言です。

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バンガード直販体制を!

バンガードがファンドを直販してくれないでしょうか。

こうなったら、もう私がバンガード日本法人に入り込むしかない!

んで、なんとか日本での直販なり、それに近い方向に仕向けさせるしかない!

インデックス投資家・「ケツぬぐい世代」の皆様のためにもがんばります!

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なぜ信託報酬が、ボッタクリレベルのグロソブが売れるのか?

理由:購入者の大部分が55歳以上だから。

なぜ55歳以上だと、グロソブでOKなのか?

彼らはいわゆる「逃げ切りOK!」な世代だから。

彼らの発想法は以下です。
「公的年金が減らされようとも全くなくなることはないだろう。」
「退職金もがっちりもらったし。」
「子供たちには、ある程度残しておけばよい。あとは使ったってかまわない」
「毎月入ってくるなら、元本が増えなくなった気にしないよ!あの世にお金は持っていけないしね」

このような彼らの考え方and経済的状況が、銀行、証券会社、運用会社を甘やかし、結果としてグロソブの高い信託報酬を可能にさせていると思われます。

しかしです。

このような考えの、しわ寄せは、私たち「ケツぬぐい世代」たる20代・30代にふりかかってきます。

「年金負担が重い・・・」
「市場に買い物にいってもグロソブみたいのしか売ってない・・・」

尻拭いまでさせられて、グロソブみたいなものしか残してもらえない・・・・

かわいそう過ぎる。僕たち!

せめて海外ETFやら、インデックスファンドなどが豊富に買えればなあ。

もうお先真っ暗ですぜ。

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信託報酬はなぜ高い?

①証券会社が収益源を株式の売買手数料から、投信の購入手数料や信託報酬にシフトしてきているから。

②銀行は、行員の高いレベルの給与を維持するために、事情がよくわからない顧客からボッタクる必要があるから。

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